残暑お見舞い申し上げます。
2011年 08月 17日
gremz;砂漠化
立秋とは言え、毎日うだるような暑さが続きますが皆さんお元気ですか。
お盆にはふるさとに戻られた方も、懐かしい再会などがあられた事でしょう。
笑顔をお土産に、また日常を頑張りたいですね。
山閑人でも、夏休みとあって、子供連れのファミリーが多かったです。
先日の七夕、短冊にも子供達の願い事もありました。
今日は曾野綾子さんの『老いの才覚』を再読していたのですが、最後のページに書かれていたブラジルの詩人、アデマール・デ・パロスの『神われらとともに(別名・浜辺の足跡)』を読んでジーンとしました。
クリスチャンではないのですがこの詩をしみじみと生きる人を感じました。
夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって後ろを振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないのに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
『あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に』
ところが、主は私に答えて言われた。
『友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ』
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仏教で言う“同行二人”ですね。
どんな時も常に見守られている事を感じて生きて行きたいものです。
ではでは
まだまだ暑さ厳しき折、ご自愛下さいませね
ママ