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2008年 10月 22日
昨日の定休日に海を見に、、そうして沈む夕陽を眺めに長崎県の外海町まで行って参りました。
ずっと、、、そう一年前の秋からこの外海に行く事をお約束して下さっていた友人のBONさん(染色作家)の運転で、佐世保からルート202号線を西海橋経由で70キロ。90分。 ここ武雄からは、時間にして2時間半ちょっとでしょうか??往復200キロあまりを走って下さいました。 この日は秋とも思えない程の汗ばむ程の素晴らしいお天気で、 今日が曇で、雨模様を思う時に、これは天からのプレゼントの様な気が致します。 さて、,メンバーは昨年と同じプラス息子。4人で和気あいあいと参りました。 ちょっと遅めの昼食を大瀬戸の「雪の浦の 浜辺」で、、、、、 ![]() 砂は焼け付く様に暑かったのですが、サラサラの浜辺には すべすべになった小石が沢山。 色々な岩石が波に洗われ時間をへて、平たく丸い石になっている。 掌の中で心地よかったので、 ちょこっと拾って参りました。(*^_^*) 息子は何をする人ぞ?? ![]() 防波堤です。誰もいない秋の海。 まだ泳げそうなくらい。。。。。 暑いでしたね。 ![]() そこに一輪だけ咲いていた花。 ![]() ゾ.ロ神父の指導で建てられたと言う山の中の教会に向かう。 途中絶景を見られる場所があると言う事で、行ってみました。 ![]() 素晴らしい。 遠くの海が霞んで見えて、海のきらめきや海上にそびえる岩、 側を通って行く船。 何となくほーーーーっとなりますね。 ここには木で作ったテーブルと椅子が置いてありあまりの気持ちよさに主人は寝そべっておりましたが、、、、(^_^;)・・・ 親子三人です.照れ。(BONさん曰く、逆光で顔が写っとらん!!あはは。わざとでーーす) ![]() 駐車した場所に凄く大きい何の木かわかりませんがそびえておりました。 これをカメラに入れたかったのですが、どうしてもお伝え出来ない。 多分我が家がすっぽり入ってしまう程に大きく、枝葉を広げて悠然と立っていたのです。 幹の部分が双樹のようでした。 『連理の枝』の様でもありました。 ![]() この木の側を通り小さい上りの小道を通って行く。凄い昔から、、 そう、、隠れキリシタンの方が住んでいた頃からあるのだろうと思える小道を登って行きました。 途中、別の大木の向こうにキラキラと輝く海が見えます。(写真では残念ですが見えませんね) ![]() そこを登りきった所に「大野教会」がひっそりと建っておりました。 ![]() 大野教会のご紹介の続きは又後で。 ママ 大野教会堂は外海地方の中心地出津から約4km北上した五島灘を望む大野郷の山あいの中腹にある。当教会堂は従来出津教会に所属していた信者が老弱等のため出津まで出向くのに困難を来すごとから、当時の神浦、大野の信者26戸のために明治26年(1893)にド・ロ神父(1840〜1914)によって建設されたもので、同年10月クザン司教によって祝別された。設計及び施工指導はド・ロ神父自身であり、建設費用は約千円と言われ、ド・ロ神父の自費と信者の奉仕によって完成したものである★1。 創建時の大野教会堂は平面が長方形で、単廊式の会堂部のみで出来ており、北側(入口側)正面に存するド・ロ石積の独立した壁体から現祭壇のある位置(入口から3間強)までは概ね現況のままで、更に東西壁面が南に延伸されて、上部半円アーチ形縦長窓各2個を追加し(合計東西面の窓は各5個)、南端はド・ロ石壁を築いておさめる、現状よりやや小振りの石造建物であった。また、天井は現在と同様棹縁天井であるが床板張りは無く、土間仕上げとなっていたようで、屋根はトラス架構の寄棟屋根であった★2。 その後、この教会堂は現祭壇のある位置より南側を一部取り壊したうえ司祭部屋部分を増築して現在の姿となっている。この増改築は出津教会第四代の神父として佐賀県の馬渡島から赴任してきたヨゼフ・ブルトン神父(1875〜1957★3)によって大正15年(1926)に行われた。ド・ロ神父の在任中に神父がしばしば祭壇脇に寝泊まりしていたと言われるところから、機能的にも司祭部屋部分の増設が必要であったものと思われる。会堂部の土間仕上げを床板張りとした時期は、ブルトン神父による増改築時であるか、或いはド・ロ神父の時代にすでに改造が行われていたものか明らかではない。 以下現況建物について、川上秀人氏の労作「長崎県建造物復元記録報告書」(洋館・教会堂)(長崎県教育委員会、昭和63年3月)の記述から整理してみる。 本教会堂は一棟の建物であるが、前部(西下方道路から見て左側)の会堂部分と後部(同じく右側)の司祭部屋部分に大きく分けられる。先ず前部について見ると、会堂部は内法寸法で幅が17尺、奥行28尺の単廊式で、北側を正面として正面中央に引き違い板戸の出入口があり、その上部に半円アーチ形のはめ殺しガラス窓がある。東西両側面には各々3個の窓があり、窓上部は全て半円アーチ形のはめ殺しガラス窓、下部は外付け雨戸を有する片引きガラス窓で、窓枠は内外部とも壁体の表面に外付けされている。 壁開口部円形アーチの部分はこの石積みでは形を取りにくい為に煉瓦積みでおさめてある。正面出入口の前方約1.3mの位置には厚さ約0.5m、長さ約6.5m、高さ約3.3mのド・ロ石積みの独立した壁体★4があり、当教会堂の特徴の一つとなっている。構造は木骨トラス小屋組の石造(ド・ロ壁造り)で、屋根は北側を寄せ棟、南側を切り妻とした瓦葺きで、北側寄せ棟屋根の垂木を延長させて前記ド・ロ石積みの独立壁体の上に屋根を差し掛けている。なお会堂内部床面は横板張りで寄木張り等は無く、天井は棹縁天井である。 次に後部について見ると、司祭部屋部分は基本的には木造で、板敷きと畳敷きの東西に配置された二室とその南側の土間とで成り立っており、建物の南端は開ロを持つ石造(ド・ロ壁造り)の独立壁となっている。屋根小屋組は会堂部と異なって和小屋組、屋根は北側では切妻で会堂部の南側切妻屋根と連結し、一方南側は寄棟とした瓦葺きで、棟高は会堂部のそれよりやや低い。司祭部屋部分は現在では巡回神父の控室的な役割を果たしているが、一時期「女部屋」として利用されていたとも言われており、居住の用に使われたこともあったようである★5。 ところで当教会堂建物を特徴づけるド・ロ石積みについてであるが、この地方で一般に温石石(おんじゃくいし)と呼ばれる結晶質変成岩の一種で水平に割れ易い石を骨材とし、アマカワと呼ぶ砂と石灰にのりとすさを混ぜた接着兼充填剤で積み上げていく独特な工法が古くからあり、これで石段から塀、かまど等を築いていた。ド・ロ神父はこの工法に着目し、玄武岩を用いて、赤土を水にとかした濁液で石灰と砂をこね合わせたもので固めて壁体を作ることを考案し、特に壁厚を40〜50cmとして当教会堂に採用した★6。現地調達の材料を用い、独特の工夫により耐久性をも実現したド・ロ神父の面目躍如たるものがある。この地方では考案者である神父の名をとって「ド・ロ様壁」と呼ばれている。 当教会堂は昭和47年(1972)2月4日、出津教会堂と共に長崎県指定有形文化財として指定されている。 ★1 長崎県建造物復元記録報告書(洋館・教会堂)(長崎県教育委員会、昭和63年3月) ★2 川上秀人「大野教余の建簗について」(建築学会大会学術講演梗概集、昭秘49年10月) ★3出津教会第4代{1920〜27)、馬渡島教会第4代、第7代(再任)の神父、前掲「長崎県建造物復元記録報告書」による。 ★4この種の壁体は同じくド・ロ神父設計の旧いわし網工場にもあった。防風の為と言われている。 ★5小崎登明「長崎オラショの旅」(聖母の騎士社、1997年1月) ★6太田静六「長崎県の天主堂と九州・山口の西洋館」(理工図書、昭和57年年7月) ■
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by sankanjin
| 2008-10-22 22:36
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